チューリップの次元。

2013年04月17日 23:21

チューリップの認識は、下が半丸で、上がギザギザ。
だから、本物を幼稚園で初めて見た時、器状のそれがあのチューリップであると、
素直に認める事が出来なかった様な気がする。

花が、器状であるという事。
休みがちだった自分の、数少ない花壇当番の時、
器状の花に水をためる事を何度も試みた。
不思議と、真ん中の黒い部分はどうやっても濡れる事は無かった。
花は指でなぞればぬれる。黒い部分を触ったら、なんだかよくわからないものがついてしまって、
それ以降、チューリップの真ん中の部分を触るのをやめた。
要は、水をためようと思ってジョウロを持っていっても、結局水が溜まらなかったのである。
水が溜まらない、という不満より、黒い部分の謎の方が、おそらく面白かったのだろう。
水が溜まらないという事象自体はどうでもよくなっていた。
ただ当時の見解は、水は重い為にあの細い茎ではいっぱいの水を支える事が出来ない、というものだった。
チューリップが散っているのを見て、チューリップは花びらがあるからその合わせ目から水がもれる、という発想に至ったのは、多分小学校に入ってからだったと思う。



大学までの道には、多くの花が咲いている。
近年、やっと花というものの楽しさが分かってきた様な気がする。
実に、実に実に色んな色があり、
実に実に、滑稽な格好をしている。
特に、木に鈴なりになる様に咲いているあの紫色の、マスカットの実の様な花をつけるあれは、なんと言うのだろう。
小さい時に花をむしり取って、ポップコーンといって投げて遊んだあの花は、なんというのだろう。
椿も八重桜も、前の家にはありふれていて、


家には、チューリップが無かった。
あった時もあったのかもしれないが、おそらく球根のものはあまり育てていなかった気がする。

開けた畑に、色とりどりのチューリップが植わっていて、
へんなかたち、って、

笑った話。


退屈。

2013年04月16日 23:47

桜が降り、椿は花を脱ぎ捨て、

自分が何をしているのか分からなくなってくる。


退屈と言う言葉とは無縁だと思っていた。

なにか、

なにかなにかと、
急く、日。

結果、応答。

2013年04月06日 00:34

こうなる時が来るのを、多分何処かで分かっていたのかもしれない。
というより、


否、
自分がどうこう言える問題でもないのだろう。

「自分」に「言葉」が足りない。
それが中身の埋没を示しているようで、
はたまた、最初から中身が無かったというか。




後付けはやめよう。

今。

4月1日にデジカメを買った話。

2013年04月04日 00:31

デジカメを買ってしまいました。
ソニーのサイバーショット。

カメラは、何となくNikonとかキャノンって感じがしてたんだけど、
電気屋さんのお兄さんと色々お話してもらった結果、
コストパフォーマンスが良いやつにしてみました。


記録、が好き。
また新しい手帳を買って、
半分は予定を書いて、
半分はあった事を書いている。


多分、何かにつけて写真を撮る様になるだろう。
日記代わりに。
見ていたものを、
やっていた事を。
気づいたものを。


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