かの栩森でさえ、消失を望む時はある、1年に30分ぐらいある。

2013年06月23日 23:59

人は何故、人の中に生きていたいと切望するのだろうか。


腕を曲げる、という動作は面白い。
腕を真っすぐ体の横に伸ばし、肘から先を曲げる。
すると、さっきまで1m近く離れていた掌が、美しい弧を描いて口元までやってくる。
そしてまた戻す。
二の腕の筋肉の収縮で、かの美しい手と言うオブジェクトが、いとも簡単に目の前にやってくる。
腕という器官は素晴らしい、
掌を180度回転させる事が出来る、この機能は如何にも如何にも、アームという感じである。

この器官は美しい、
そしてそれは、自分の左側に付属している。

首のしたに広がる肋骨の波が、腕の伸縮に引っ張られて浮いたり沈んだりしている。
背骨と臓器を載せる骨盤が、複雑な曲線を描いて足の上に載っている。

人間、というフォルム、
戦闘機、
駆動躯。




朽ちてゆく自分を、感じる。

電車の中、誰かの中。

2013年06月05日 00:22

20:58 2013/06/04

人を折り返すための自分、反射するための自分。
自分が誰かと一緒にいる意味は、おそらくそこにあって。
言い換える役割、

わからない、という防衛線。
自分が、好きになっても許されるものと、
自分が好きになってはいけないものがある。
その線引きはいつも自分ではない、
好きになっても大丈夫なもので自分の好きが構成されてゆく。
好きになっても良いものの範囲で自分が何かを好きになるから、
その系はいつも、平和でいられるんだ。

それがわかってきたのは、みんなそうじゃないかもしれないという可能性に気付いたのは、
たぶん結構最近。
いいんだ、これからこれから生きていけば、最近はどんどん遠くなって、
遠い昔の一瞬の出来事になっていくんだろう。


あの時こうすればよかったなとか、
こうだったらよかったのにとか、
そういう事を本気で言う人の気が知れないよ。
出来たらやってたでしょ、出来なかったから、気付かなかったからこうなってるんでしょ、
何かのせいにして、進まない。
出来てたら、やってた筈だよね。
それはまがいもなく、自分のせいなんだよ、
自分で、認めることよりほか、ないのにね。


生まれ変わっても、タイムマシンがあっても、
自分はこの時間と蓄積された時間を手放さないよ、
それが自分自身を構成している何かで、
自分にしか出来ないことをやるべき自分の、
やったであろう自分の、
集大成であるから。

自分に、豊かに生きる、という言葉をくれた師は、多分まだご存命だろう。
25度を寒いと感じるか暑いと感じるか、ちょうどよく快適だと感じるか。
雪も降らなければ夏も来ない平凡な気温を、心地よい安定と捉えるか、あるいは退屈な気候と捉えるか。
吹雪にもなれば台風も来る、迷惑な環境なのか、あるいは四季のある、色のある空間か。
どうしようもない外的要因は、内面で変えていくしかないんだよ、
100円しかないけど、100円のものは買える。
なんとだって、言えるよ。
なんどでも、言えるよ。



最近、奔ってもいないし、飛んでもいないなぁ。
大人しくなってしまったものだ。


表現することは、生きることだ。
自分よ、生きろ、
文字と成って、絵と成って、音と成って。


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