かこう。

2014年02月16日 23:56

自らの意思の範疇が何処までなのか、という点について最近考えている。

例えば、誰かの喜ぶ顔が見たいから頑張る、というのは、
頑張る理由が他人にあるからそれは自分の意思じゃないんじゃないか、という疑問。

結果を望んでいるのは誰で、動いているのは誰なのか。

こういう事を言いはじめるときりがないのは分かっている。
他人の意思に準ずると決めたのは自分である、とするならば他人の意思は自分の意思になる。

そうやっているうちに、どんどん自分と他人の境目が分からなくなっていく。

やるべき事と、やった方が良い事は何となく分かる。
そこに置いてあるからだ。
やるべき事と、やりたい事が一致した場合、それは置いた人の意思なのか、あるいは拾った人の意思なのか。
そもそも、やりたいこと、とは何か。


幼稚園の頃だったか、つくえが上手く描けなくて、図書館で本を探した事がある。
当時は多分多視点法だったのだろう、奥行きが描けなかった。
奥行きのある机の絵というのは、驚いた事に4本の脚の長さが同じではなく、
また机の角すべてに脚をつけないものだと知った。

これは机ではないと思った。

しかしそういうふうに描いてみると、成る程紙の上に机は立ったのである。
周りの人は褒めてくれたし、思い描いていた様に机が描けたのでそれはそれで良かったのだが、
それを描く事はあまり楽しくなかった。
この机は自分が描いたんじゃない、本の真似をしただけだ、
自分で描いた机じゃない、
そう思った。


でも今から思えば学習とは常にそういうもので、何も机だけの話ではなかったのである。
こうして今日本語を打っている事も、
すべてすべて、
すべてすべてすべてすべて、人の真似の集合体なのだと、
そう思う。
オリジナルのものには著作権がつくらしいが、
そもそもオリジナル、とはなんなんだろうな。

今こうやって書いている文章も、
きっと誰かの集合体で、
自分自身も、誰かの集合体なんだ。



拒否しない、という選択肢とはなんなのだろうな。
自分はそれを意思とは認めないよ、

そうね、
それはきっと、彼女が「それは意思だ」と言ったからだろうね。





なんだろうね。

時が過ぎて行く飛ぶ様に。

2014年02月10日 00:47

いい加減、今日あった事を家に帰って来てべらべら喋ってしまうのはいかがなものかと思う。
人間が何故連絡以外のどうでも良い事を喋るのかはおそらく人生の命題になるだろう。

ブログの根本原因をひっくり返してる様に見えるけど、
ここは記録なので良いのです。
何故ノートにしないのかと言う質問には答えません。


先日は卒論発表だったのです。
ああいうものは、終わってしまえば楽しかったなぁぐらいにしか思わないので、
このタイミングで書く事はあんまり無くなってしまいましたが。

幸運にも、自分にはこれまで大勢の人の前で話すという機会が沢山与えられていたので、
舞台に立って喋る事自体はそんなに臆する事ではなかった。


ただただ、あっという間に終わってしまった。
手間のかかる事も、やってしまえばあっという間だった。

平日が5日間、比較的すぐに休みがやってくる。
これは自分が歳をとったという事なのか、あるいは作業効率が落ちているのか、


多分、あっという間に死んでしまうんだろうなぁ。


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