本当はもう7月なんだけど6月に思ってたことだから6月で書くね。

2016年06月11日 10:33

おなかがすく、という感覚がいまひとつわからないままきたが、
それは自動的に食料が出てくるからであって、
一人で住んだらそれも少しわかるのかもしれないと思っていた。

思っていたが、自分の期待する「お腹がすく」現象は未だあまり見られず、
ただ感じるのは、適度に燃料をいてれおかないと、全体に供給されるエネルギーが途中で足りなくなるのではないか
という不安である。

足りなくなると、いろんな方にご迷惑がかかるし、
なんだか長生きできない(もうすでにかもしれないが)ような気がするし、
今まで振り回していたカメラがずっしりと重く感じられたり、
困ることが増えるので、
とりあえず何か入れておかなければならない、と思う。
思うので、おそらく胃のあたりにやってくるであろう楽しそうな感覚には、
まだ出会えてない。


食べる、ということに関して、
物質を自分にする所業に関して、今までも思うことはいろいろあったけど、
実際に自分で原料を入手して加工して食べる、という作業はなかなかに面白いことが多い。

切られた生肉がプラトレイとラップに封じ込められている様は、
おそらくグロ画像以外の何物でもない、
特にモツ系。
見た目がどうこうというよりかは、意味的な問題で。
人間に置き換えて考えてみた、というと話が早いかもしれない。
転んだ人の傷口から筋繊維や脂肪が見えてたらなかなかに衝撃のある画になるけど、
自分たちはそれを、グラム単価と脂肪の割合を、今日作る料理を考えなから選定する。
選定して、冷蔵庫に入れる。
生の肉が家の冷蔵庫に入ってるなんて、
結構なホラーだと思う。
そしてそれを、焼死体にして、
ああ、そうだね、生の肉というよりは、死体の破片という感覚。
そいつのタンパク質をちょっと変性させて、
自分の一部にする儀式をする。

すべからくおそろしげなんだけれども、
タンパク質が変性したり、それに伴うにおいが発生したりすると、
死体の破片やべぇって思っていた自分が、
おいしそうだな、何味がいいかな、って、
考え出すところが、

冷蔵庫に動物の死体の破片が入っている事実よりも、
ずっとおそろしいことのようなきがしている。



最近の記事